プロレスラーだった米国人の父から才能を受け継ぎ、モデルだった日本人の母から美貌を受け継いだ
天才美女レスラー、マリリン・オギワラ。
幼い頃に母を亡くし、父親に男手一つで育てられたマリリンは、よちよち歩きの頃から父にレスリングを教えられ、
その才能に研きをかけていく。
そして16才の時に父が心臓マヒで急死したのをきっかけに、父が在籍していたプロレス団体AWEと契約する。
エンターテイメント重視の団体AWEでは、「ディーバ」と呼ばれる女子レスラー達は皆ビジュアル重視で、
実力的にはもう一つの選手ばかりだった。
まだ17才とはいえ、既に10年以上のレスリング・キャリアを誇るマリリンはデビュー戦から圧倒的な強さを見せ、
デビューからわずか2ヵ月で女子王座を獲得する。
しかしエンターテイメント重視の団体の方針に嫌気がさしたマリリンは、たった1年でAWEを離脱。
亡き母の祖国である日本の団体「ジパング女子プロレス」と契約を結ぶ。
「ジパング女子プロレス」は母の父、つまりマリリンの祖父が孫娘を日本に呼ぶ為にわざわざ設立した新団体で、
AWE女子王者の実績を持つマリリンは、まだ18才の若さでメインエベンターを努めていた。
しかし「ジパング女子プロレス」の会長だった祖父がガンで亡くなった途端に「ジパング女子プロレス」は業績が悪化。
マリリンが20才の時に倒産してしまう。
さらに悪い事に社長である母の兄、伯父が失踪した為、唯一人の身内であるマリリンは「ジパング女子プロレス」の
莫大な負債を背負う事になる。
そんなマリリンに返済の条件として突き付けられたのは、債権者の男が新しく設立した新団体「ジパングプロレス」との選手契約だった。
マリリンには「YES」の選択肢しか無かったが、「プロレスが続けられる」というのが、何よりの救いだった。
「ジパングプロレス」の正体を知る迄は・・・
ジパングプロレスの所属レスラーはほとんどが素人同然で、格闘技経験があったとしても、「何十年も前の学生時代、柔道部だった」
とか、「力士だったがすぐに廃業した」とかろくでも無い者ばかりだった。
中にはプロレスラーもいたが「練習生の時に逃げ出した」レスラー崩れや、
引退して10年以上リングにあがっていないロートルレスラーと、こちらも似たり寄ったりだった。
年齢も21才のマリリン以外はすべて40歳以上の中年で、中には60歳を超える者もいる。
そして何より驚くべきことに、そのレスラー達は全て男性で、女子レスラーはマリリンただ1人なのである。
ジパングプロレス・・・それはマリリン荻原を辱める為だけに設立された団体だった。
文 おかゆ